料理長のご紹介
七福酒家の料理長の名前は徐維均。広東料理レストラン「福臨門チェーンの前身となる店の創業者、徐福全の7番目の息子です。またの名を「七哥」。「7番目の「家全七福酒家 Seventh Son」の首席料理長の名前は徐維均。1940年代、広東料理レストラン「福臨門」チェーンの前身となる店の創業者、徐福全の7番目の息子です。またの名を「七哥」。「七番目の兄」という意味です。徐維均は14歳のときから父親のもとで修行し、食材の選び方から、包丁の使い方、調理法まで、父親直伝の技を習得しました。
その後、徐維均は、若いながらも、アワビ、魚の浮き袋、フカヒレなどの高級食材を選別するという、広東料理の厨房で非常に重要な仕事を任されるようになりました。また、彼は、父親と他の料理人たちと一緒に香港屈指の美食家の邸宅に行き、出張料理を手伝った経験もあります。
父親の徐福全が60歳で料理界からの引退を宣言。レストランの経営を幹部の料理人たちに引き継がせるつもりでしたが、幹部たちは次々と福臨門を離れ、個人で独立してしまいます。そこで、当時弱冠20歳だった息子の徐維均が料理長として中華鍋をふるうことになり、経営を引き継ぎました。その若さで料理長になることは、広東料理の世界では非常に珍しいことです。
その後、徐維均は、それでも福臨門に来てくれるお客様のために心血を注ぎ込みます。そして、美食家の屈書香氏から晩餐会の出張料理の依頼を受けたときが大きな転機となりました。屈書香氏は、作詞・作曲、俳優、マルチクリエーターとして香港で有名なジェームズ・ウォン(黄霑)氏の義理の兄弟にあたります。福臨門の料理を食べ、その味に感動した屈書香氏は、店の厨房まで自ら足を運び、料理長の徐維均とその料理人たちに直接お礼を言いに来てくださいました。この思いがけない出来事で大きく勇気づけられた徐維均は、広東料理のさらなる高みを目指して、一層努力を重ねます。父親の代のお客様も次第に戻ってくるようになり、福臨門は香港屈指のレストランになることができました。
1972年、徐維均は第一号店を灣仔(ワンチャイ)の駱克道に初出店。店は順調に行き、ついで尖沙咀(チムサアチョイ)に支店がオープン。福臨門は、美食家たちの舌をうならせる味で香港内外に広く知られるようになります。これに自信をつけた徐維均は、海外への出店を決意。1982年、福臨門の日本一号店を出店し、その後、日本の各都市に展開します。さらに中国本土の各地にも支店を展開。。「シャングリ・ラホテル」と提携し、上海、北京、深圳の福田区に出店しています。
そして、2013年、過去50年以上にわたり愛され続けてきた福臨門の味は、九龍と香港のレストランを離れ、徐維均とともに新たなステージを目指します。新ブランドの名は「七福酒家」。世界中の美食家に喜んでいただけるよう、これからも質の高い正統派の広東料理をお届けいたします。
